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ミッション コンプリート

私の勤務する学校で、小学生を対象にした「体験授業」が昨日あり、無事(?!)終わった。「授業アンケート」が無いので、「無事」という言葉に偽りはない。

午前中3コマ、高校3年生の授業があり、午後の時間に行われたものであるが、日頃高校3年生の授業準備に要する時間的・精神的プレッシャーからすると、慣れない小学生相手の授業準備は、その10倍位大変である。今の学校に勤め出して今年で7年目だが、高校3年生専従で教えるのは今年で4回目になる(“王道”を進む教員は、中高6年あれば、丁寧に1年ずつ進んでいくことが普通だろうから、24年分の教師生活に相当する)。よそで教えていた経験もカウントすると、受験生を教えるのは、仮に上手くできるかどうかを別にしても、普段からしていることなので、それなりにできるし、“覚悟”もある。ところが、小学生ともなるば話は別である(しかし、これは英語に限ったことでなく、他教科の先生も同様だろう。問題発言と言われるかも知れないが、大人びた、明らかに「人間」を相手(高校3年生)に授業をするのと、方や「人間になる進化の途中にある小学生」を教えるのでは、勝手が違う。

ところで、これまではネイティブ講師の専売特許だった「英会話」の授業であるが、今回「英語」(よって「読む・書く・聞く・話す」を扱う)という講座で担当することになった。なぜ避けることもできたことを、敢てすることにしたか(有名予備校の先生と異なり、これは業務の一環なので、特別に授業をしたことに対するペイはない)というと、一部のネイティブを例外として、日本人に教えるなら日本人の方が、英語を教えるのは上手いはずであるから、それを証明したいと思ったのと、中高生以外(今後「幼稚園」「小学生」、逆に、過去サボっていた英語の勉強をしないと、昇進が無いかも焦る「社会人」)にも英語を教えられる技量が、これからの英語教師には必要だと思ったからである。

高校3年を教えるだけでも人に認められるほど教授力があるとは思わないが、しかし、学校の教員の場合、ゼネラリスト的な要素が強い。担当する学年によっても異なるだろうし、個々の学校でも状況は違うのは想像できるが、日頃英語の教師としての仕事は(「あ、自分は英語の教師だ、という」感覚は、全体の50%程度ではないだろうか。これまで、二度だけ中学生を教えた経験があるが、そのパーセンテージは時に5%、平均でも20%は行かないと思う(公立中の先生なら頷いて頂けると思う)。

将来、大きなチョンボをしてクビにならないとも限らない仕事であるが、あと定年まで15年強教えるとすると、あまり得意としない(というより、経験がない)相手を教えることに今のうちに挑戦しておく必要があると感じたことが気持ちとしては強い。それと、繰り返しだが「ただネイティブだけ」という理由でありがたがられている日本の英語教育、加えて、無批判に「英語の授業は英語じゃなきゃ」にも、反発はある。

長くなったので、今日はこの辺で。この時期、塾・予備校でも「夏の体験授業」などというのをやっていると聞く。どこに行っても、楽などさせてもらえないのだから、英語を教えるのをメシの種にするなら、多少の苦労も買って出ないと、生徒から見透かされるだけでなく、若い先生への手本となることもできない。
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