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それでも大事

「英語なんて通じればいいんだ」というフレーズは、それ自体に一定の分があって、こちらの立場によっては、反論も難しい。こちらの立場というのは、「英語教師+非ネイティブ+(当然ながら)流暢さに限界があり」の立場という場合である。しかし、「サンキュー」と多少のネイティブ訛りで言うことは許容されても、ビジネスレターやメールで、Thank you.が正しく綴られなければ、その会社とは取引してもらえないのではないか。

手元にある、渡辺昇一先生の書いた「英文法を知っていますか」(文藝春秋)には、本の後半で規範文法を批判した、アメリカの認知言語学者ピンカーについて、彼の議論に反証が挙げられている。ここですべてを紹介することはしないが、「規範文法を望んだのは大衆だった」ということには注目に値する。ピンカーの大著のどれも、規範文法から逸脱したところはないのに、下層社会集団の非規範文法的な英語を容認せよというのは、言いかえると「メインストリームに出てくる必要はない」というのに等しいのではないかと渡辺昇一先生は指摘する。

最近の文法書では、仮定法でIf itに続く、be動詞は、wasも使われるようになってきていると書いてあるが、自分自身、修士論文でかつてwasとしたところ、アメリカ人教授にしっかりwereと直されてた経験がある。同じようなことが、同書に氏の教え子のエピソードとして「留学生がWe wereなどというのを聞いても許せるが、レポートにそう書いてあったら、そんなものは読まない」と言われたとか。

授業が笑いに溢れ、自己表現ができる‘発信型’の授業が「素晴らしい授業」と評されるのはそれとして、仮に、授業が笑いに溢れず、また自己表現もできなくとも、英文法の授業が「素晴らしくない授業」と評されることにはならないと思うが。
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