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プロが作る試験はブレない

2月20日より新URL(予定) → http://itthat2000.blog.fc2.com/

受験英語指導において、私が絶大な信頼を置く「道場主」が、過日、大学の入試に求めたい3つを自身のブログで挙げていらした。その1つが「配点を公表せよ」というもの。

近年、良心的な大学は、配点や英文の出典まで載せるなど、改善がみられるものの、試験をする側の絶対的な立場は相変わらずである。これに対し、ある投稿された方が、大学が「配点を公表しない理由」に“融通性”を挙げていた。簡単に言えば、実際の答案を見て、生徒の出来・不出来で調整を図るということであるが、仮にそういう大学が一部にあるとしても、私は賛同できない。

実は、私も「一定程度、公式な試験問題を作る」(それ以上は想像して頂きたい)機会がある。慣例で、問題用紙や解答用紙に配点は示していない。以前、ある同僚が、上記の“融通性”を理由に挙げ、示さない方が良いのだとの発言をしていたが、私は賛成しかねる。実際には、生徒の答案を見て、配点を変えることなどしないのだから、それは詭弁。こちらの手の内を見せたくないという心理が働いているということを認めた方が正直で余程まし。

模試にしても入試にしても、例えば読解問題なら英文を選んだ段階で、成功か失敗か(採用されるか、ボツ問題になるか)概ね決まると言って良い。やたらと設問を作り、あとでカットするとなどという問題作成の仕方をする人がいるが、これは素人の業だと私は思う。問題案の段階であっても、どの設問が配点何点で、合計100点、あるいは、200点などのような試験を作るのがあるべき姿であって、融通性を利かせるというのは筋違いである。

例外的に、“融通性”が登場するかも知れないのは、「合格させなければならない試験を実施するとき、教師が行う広義の“ズル”」である。具体的には、追試で合格させてやらないと進級できない生徒に、できた問題について分厚く配点し、間違っていたところは、配点が小さいという、“茶番”のこと(因みに、私が勤務校では追試はないので、このようなことは一切行っていない)。

本来、試験は完成した段階で、すべて出来上がっていなければならないものだから、融通を利かせるという名目で配点を変えるのは、やはり道場主の言われるゴールの位置を変えることに等しいと思う。
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