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“自由に書く”その前に…

今年も自由英作の指導の時期に来た。と言っても、もっと熱心な指導をしている学校や塾・予備校では、高校2年、いや1年の頃から、少しずつ指導をしているところもあると思うが、現実的には、文法・語法の知識が一定程度入ってきて、また入試が強く意識させるこの頃から、まとまった文を書く練習をすることも少なくない。

知り合いの予備校の先生、しかも、受験指導において長年第一線で指導して来られている先生方が異口同音に言われるのが、「自由英作と言っても、和文英訳のレベルでキチンと書けるようにすることが一番重要」ということだ。

確かに、英語の間違いを恐れずに、いろいろなテーマに対して自分の意見を英語で表明することは、日頃の英語学習の中では、今後より重要視されるように思われるし、個人的には、「英語は使って(書いたり、話したり)ナンボ」という英語教育感を、多少なりとも持っている。しかし、これが入試となると、どうだろうか。今、手元に過去十余りの日本全国で出された自由英作のテーマリストがあるが、失礼ながら、大学の先生の、現在の高校生の英語力に対する認識は、現実と大きなギャップがあることは否めない。

いつも話題になることだが、どのように採点しているのか? テーマと全く無関係な解答は別にして、結局は英語のキホン(時制や人称、名詞の数、etc.)に注目して採点する以外に、「公平」な採点は無理であるように思う。受験生がみな、英検準1級レベルには達している、というような前提があれば、話は別だが、2級も覚束ない生徒は、「元々書けることしか書けず、書きたい(あるいは、書かなければならない)ことを書くには、英語自体の犠牲を払わない限り無理」というのが、現実ではないだろうか。

東大型の、「自由」とは名ばかりの「『不』自由」英作が、日本で6年間勉強してきた生徒の身の丈に合った出題であり、また、採点の観点からしても、公平な採点が可能だと思う。「“日本語”で200字程度で書け」という問題だったとしても、そもそも「背景・知識」が無く、書けない生徒がいてもおかしくないテーマ(二重国籍を認めるべきか〔早稲田―国際〕、尊敬されないことは私にとって重要ではないということについて〔一橋〕etc.)を入試で使って、どれだけ正確に生徒の英語力を図る試験になっているのか甚だ疑問である。

生徒は、自由英作と聞いて尻込みする必要はない。確かに、英語ならではの「まとめ方」「話の展開」があるから、練習は必要であるが、それは全体を10とした時、2くらい割合ではないか。残りの8は、自信を持って書ける短文レベルの英語を増やすことであり、その中で、文法や英語として自然な言い回しを身につけることに注意を払うと共に、綴りを正確に書く練習を続けることだと思う。生徒の答案を見ていると、綴りの誤りを目にすることが少なくない。
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